天津飯、その起源、名前の由来とは?関東と関西での味の違いも知りたい

テレビ朝日「マツコ&有吉 かりそめ天国」で、絶品天津飯が紹介されました。

子供から大人まで大人気の、中華の名物料理。でも、この「天津飯」って、本場中国ではなく、日本で生まれた料理であることって、ご存知でした?

今回は、そんな天津飯の名前の由来、関東と関西で異なる餡の発祥の秘密などをご紹介したいと思います。

天津飯の起源

中国・天津市

天津市は、首都北京の東南約140kmに位置し、北京や上海、重慶と共に四大直轄市の一つで、1300万人の人口を抱える、貿易と工業を中心とした大都市になります。

昔から貿易が盛んで、渤海にのぞむ対外貿易港の天津港は、北京の海の玄関として重要な位置を占めています。市の中央を運河が流れ、これに支流、運河が繋がって水利が発達しており、

陸上は2つの鉄道が交差しているほか、高速道路が北京、天津、塘沽(とうこ)間を結んでいます。

また、食文化に関しては、

「着る(ファッション)なら上海、遊ぶなら北京、食べるなら天津」

こんな言葉が中国国内でよく知られるように、天津には美味しいものがたくさんある、という認知がされているようですが、

特にこれといった名物料理があるわけでもなく、四川料理や上海料理など、明確に特徴づけされた食文化は存在しないようです。

ではなぜ、「天津飯」と呼ばれるような、独自の地名がつけられたお料理が日本で生まれたのでしょうか。

名前の由来

実は、「天津飯」以外にも、「中華飯」や「広東麵」などは、いわゆる日本で生まれた”ジャパニーズ中華”と呼ばれるものがあります。

これらは、本場中国にはもともと存在せず、

日本でも、どちらかというと中華の高級・専門料理店より、町中華と呼ばれるような、庶民的なお店で提供されるケースが多いようです。

本場のこだわりを重視する専門店よりも、町のニーズに合ったお料理を提供する大衆派レストランでメニュー化されたという事は、やはりそこには創業者の意図とか、顧客の属性が大きく関わったとみるべきでしょう。

天津飯の起源については諸説ありますが、

中でも辻調理師専門学校の調理教授であった横田文良氏の説が広くメディアでも紹介され、一般化されているようです。

横田説には「東京説」と「大阪節」の二つがあり、

どちらも戦後の東京や大阪で広まり大衆化された、との論説ですが、明確に示す根拠がある訳でもない為、あくまでも仮説の領域を出るものではありません。

ただ、当時天津は、中国からの復員船が出る港として知られており、天津には多くの復員兵が集められ、滞在していたことなどを考えると、

そこで芙蓉蟹(かに玉)をご飯に載せて食べた人がいて、そうした味の記憶が、天津飯が日本に生まれる土壌を作った可能性は否定できないように思います。

「東京説(来々軒発祥説)」

浅草ラーメン発祥の店といわれる「来々軒」が、三代目亭主が戦地から復員した後、東京・八重洲口に新たな店舗を出店しました。

ただ、料理人が不足していたため、銀座の中国料理店「萬寿苑」から応援を回してもらったのですが、その料理人がある時、「何か早く食べるものを作って欲しい」という客からの要望に、

玉子に蟹の身を入れた蟹玉を、丼のご飯の上にのせて提供した、というのが始まりだという説です。

天津からの復員兵で賑わっていた東京で、大層評判になったらしいですが、

ただ、この説だと、「天津飯」と名付けた根拠に乏しい、というのと、「早くできるもの」というなら炒飯とかでも十分早く、新しいものを考案する必要性に欠ける、という点で懐疑的な見方があるようです。

大阪節(大正軒発祥説)

続いて大阪説ですが、

戦後間もないころ、大阪城近くの馬場町に、陸軍の大阪八連隊本営があって、その前に「大正軒」という中華料理店がありました。

大正時代、関東大震災の後に開業したらしく、今はもうすでに存在しませんが、亭主は山東省出身で、玉子料理が得意な料理人であったといいます。

当時は戦後の混乱期で、食糧も乏しく、売り物がなくて困り果てていましたが、あるとき、知恵を絞った亭主は、天津で多く獲れたワタリガニを使い、これを卵でとじた「かに玉」をご飯に載せ、上からトロリとした餡をかけて提供した、といいます。

これが芙蓉蟹蓋飯、日本人が言う「天津飯」の第一号という説です。

蓋飯とは、ご飯の上におかずを載せたもので、天津では民間の食習慣として親しまれており、亭主はこれを発想のもとにしたので、という論拠ですが、

ただ、近隣地区とはいえ、山東省出身の料理人が自身が考案したメニューに「天津」と名付けるか、と言われると、確かにう~ん、、ってなります。

しかも、具をご飯の上に載せて食べるのは、丼物とか日本にも昔からあって、何も天津の専売特許じゃないですしね。

いずれにしても根拠に欠ける、というのが結論のようです。

関東と関西での違いは?

もともと関西では、天津飯は、炒飯、ラーメンに並ぶ中華の定番メニューであり、一番人気であるという中華料理店も多い事から、関西人のソウルフードであるといっても過言ではありません。

一方、関東では、そこまで注文されるメニューではありません。

知ってはいるけど、一度も食べたことがない人もいるレベルで、メディアなどで繰り返し取り上げられて、ようやく一時的・局地的なブームが生まれる、といった程度です。

この差について、先述の横田氏は、

「当時はカニも玉子も貴重だったため、まともに作った天津飯は高くつき過ぎ、既に天丼などの丼文化が発達していた関東では、そこまで人気メニューとして広がらなかった。」

「大阪では、カニの代わりに川で捕まえた河津エビを使ったり、玉子を海外から安価なルートで仕入れたりと、安く美味しく提供する工夫をこらした。」

その甲斐あって、庶民にも手の届く目新しい料理として、一躍人気メニューとなり、それが今でも広く愛されている理由だ、とおっしゃっています。

一方、味の違いについては、

「関東の天津飯は、酢にケチャップを加えた甘酢や、酢に醤油を加えた、酸っぱい餡が主流であるが、関西では、塩や醤油をベースにした、だしの旨味が感じられる餡が主流となっている。」

これは、「東京の来々軒が、客に早く出すために酢豚の餡をかけたのに対し、大阪の「大正軒」では、エビなどの具材を使っていたため、その素材の旨味を十分に引き出すために、塩や醤油をベースにした薄味の餡が作られた」

ということなのだそうです。

出典:「餃子の王将」天津飯・京風だれ(醤油ベース)バージョン

まとめ

天津飯の起源については、つまるところ中国料理の「芙蓉蟹」をのせたご飯が、何故「天津飯」と呼ばれるようになったか、でありますが、

その明確な理由は明らかになっていません。

ただ、日本での発祥地については、「東京説」と「大阪説」があり、どちらも興味深いものでしたが、関東と関西で異なる人気の秘密や味の違いなども、ここに端を発していることが分かりました。

自分はどちらかというと、なじみがある分、甘酢の方が好みかな、、と思いますが、別に東京出身でも東京育ちでもありません。

ただ、長年食を通じた仕事に携わってきて感じるのは、天津飯はもとより、茶わん蒸しやオムレツなどにしても、こと玉子料理に関しては、女性よりも男性の方が、より好む傾向にあるかな、という点です。

また、同じことは中華料理においても言えます。(どちらかと言えば、女性よりも男性に好まれるという点)

どちらも、明確な根拠やデータがあっての話ではありませんが、「王将」などの中華チェーンが関西を拠点とするのも、自分にとってはとても腑に落ちる話なのです。

尚、余談にはなりますが、中国の地方名を付けた料理は、先ほどの広東麺などの他に、南京そばや天津甘栗なども存在しています。

「南京そば」は、「志那そば」や「中華そば」と同様、中国の拉麺(ラーメン)を指しますが、これは明治中期に、横浜や長崎の中国人居留地を「南京街」と呼んだことに由来します。

(同じ南京でも料理ではありませんが、「南京玉すだれ」は中国とは無関係です)

また、「天津甘栗」も、天津が主産地という訳ではありませんが、栗の輸出港として天津と呼称されるようになったということです。

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