テレビ東京系「カンブリア宮殿」で紹介される、「和田寛」前岩岳リゾート社長とは、どんな人物なのでしょう。
東大出身、農水省の元キャリア官僚という経歴を持ち、閑散とした“真夏のスキー場”を、一大リゾートに変えた手腕の持ち主。
その経歴や素顔、家族のことや収入などについても調べてみました。
プロフィール
本名:和田 寛(わだ ゆたか)
生年月日:1976年7月3日(年齢48歳)
出身地:東京都北区
学歴:東京大学法学部卒
東京生まれ、東京育ちの、いわゆる都会っ子だった和田さんは、もともと山登りが好きだったお父さんの影響で、登山やスキーにも熱中し、小学生のころには北アルプスを縦走、
スキーも、中学生や高校生の頃は、年に3回は滑りにいくという熱の入れ具合でした。
そうした経験を積む中で、自然に囲まれた田舎の風景が好きになり、もともと役人だった父親の姿に憧れたこともあって、
父親のように人の役に立つ仕事で、自然環境の問題を取り扱うところ、自然環境を生業にした事業であるとか、田舎の活性化に取り組めるところがいいなと。
そういう意味で、農水省というのは比較的自然なオプションで出てきたんですね
開成高校から東京大学法学部へ進んだ和田さんも、そのような経緯から、就職は農林水産省を選びます。
ただ、いざ足を踏み入れてみると、実際には思い描いたような取り組みはできませんでした。
いわゆるキャリア官僚みたいな立場になり、法律職という仕事なので、組織の取りまとめをしたり、組織をどうするみたいな話をしたり、法律を書いたり。
でも自分はもっとダイレクトに田舎をよくする仕事がやりたい、そういう思いが強くなっていったのが最初の2、3年だと思います
しかし一方で、田舎をよくしたいと思っても無限にお金を使えるわけでもなく、ばらまけばそれで幸せになれるというものではない、
結局は田舎のビジネスが元気にならない限り、地方を活性化させることは出来ない、と考えた和田さんは、ビジネスの勉強をしたいと思うようになります。
入省してから、丸8年が経ったころ、
和田さんは、外資系のコンサルティング会社「ベイン・アンド・カンパニー」に転職し、そこで不動産や金融、流通など、さまざまな分野の業界に携わり経験を積んでいきました。
クライアントのビジネスをよくすることは、それなりに楽しかったといいますが、
ただ、登山やスキーなどで訪れる各地の山岳リゾートは、以前と比べるとどこも侘しい状態が続いており、経営もひっ迫していました。
そうした状況を目の当たりにした和田さんは、やはり子供のころ抱いていた
『田舎を元気にする仕事がしたい』
という想いが強まって、
スキー場運営会社が掲載する、中途採用の募集広告に応募したのだ、と言うことです。
すごいですよね。子供のころの想いをずっと胸に抱き続けて、それを実現するために華々しいキャリアをかなぐり捨てて挑んでいくのですから。
もちろん、すべてのキャリアが全て無駄になったわけではありませんし、それなりに勝算もあったのかもしれませんが、
ご家族の方の理解がなければ、とても意思決定できることではないと思います。
家族のこと
ご家族は、奥様と二人のお子さんがいて、4人家族になります。
子供は上が女の子で、下が男の子。
下のお子さんは、インスタを拝見しますと、今年は小学3年生になられるようですね。
お姉ちゃんの方は、インスタにも殆ど登場してこないので、詳しいことは分からないのですが、今年の春先(3月ごろ)、試験云々の話をされているので、もしかすると中学に上がったのかもしれません。
姉弟並ぶと、それなりに歳の差を感じますし、少なくとも1こ下ってことはないと思います。
残念ながら、お父さんの和田さんは、白馬の方へ単身赴任されているので、なかなか帰れない様子も伝わってくるのですが、
それでも、下の子が一人で新幹線に乗って会いに来てくれたりしたら、本当に嬉しいでしょうね。
子供が一番かわいい時期に一緒に暮らせないのは、本当に気の毒だと思うのですが、果たさなければならない仕事がある以上、致し方ないのかもしれません。
ちなみに、下の男の子はお父さんにそっくりで、とても愛くるしく、可愛い坊やです。
和田寛さんの収入について
現在は、独立されていることもあり、収入については全く分からないのですが、昨年10月まで在籍されていた岩岳リゾートの代表取締役時代は、
会社規模や業績からいっても、年収は3000万円を下ることはないと思います。
また、親会社の日本スキー場開発や、白馬観光開発からの報酬などがあれば、さらに上乗せされることが予想されます。
書籍も出版されていますが、こちらはそこまで出版部数を伸ばせているという情報もありませんので、大きな収入にはなっていないでしょう。
テレビやユーチューブ動画などにも出演されていますが、こちらも高額な出演料は望めないでしょうから、
書籍の印税と合わせても、恐らく年50万~100万円ぐらいではないかと思います。
となると、すべての収入を合わせても、年間4000万円に届くか届かないかぐらいのところではないでしょうか。
今を時めくスーパー経営者にしては、少し少ないような気もしますが、親会社の社長を超えるような報酬はないだろうと思っています。
まとめ
青息吐息のスキー場を、V字回復させた和田寛さんは、東大からキャリア官僚、外資系コンサルティング会社を経て、リゾート会社の中途募集に応募するという、
異色の経歴を持った経営者でした。
ただ、その素顔は、父の姿に憧れ、田舎を元気にしたいと望む、青年のような志を持ったマーケッターであり、ごく普通の家庭で2人の子どもを持つ良きパパでした。
年収は4000万円程度(推定)と、実績を考えれば多くはないかもしれませんが、まだまだ40代の、バリバリ仕事ができる年齢です。
和田さんの活動に触発されて、日本の地方が、もっともっと元気に、生き生きとした力を取り戻してくれると良いですね。
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