女子バスケット・日本代表の宮崎早織選手が、日本テレビ系「上田と女が吠える夜」で、妹さんの学費を立て替えていた、という話をされていました。
現在はボートレーサーだという、宮崎さんの妹さん。
一体、どんな方なんでしょう。気になったので、調べてみました。
プロフィール
本名:宮崎安奈(みやざき あんな)
生年月日:1998年5月28日(年齢26歳)
出身地:埼玉県
血液型:A型
身長:155cm
体重:47㎏
学歴:足羽(あすわ)高等学校卒
職業:女子ボートレーサー・埼玉支部所属
宮崎安奈さんは、実は22歳のときまで、女子のWリーグで活躍していたプロバスケット選手でした。
姉の背中を追って、小学4年生の時からバスケットを始め、高校は福井県の強豪校に進学、全国大会ではベスト16に進むなど、スピードを生かしたプレーで活躍しました。
そして卒業後はWリーグのアルビレックス新潟へ。姉と同じ舞台に立って戦うことが夢だったといいます。
出典:インスタグラム
美しい、、というか、可愛らしい方ですね。
味わった挫折
影が差したのは、プロの世界に入ってすぐのことでした。
高校までは、ずっとレギュラーとしてコートの中でプレーしていたのが、プロではサブとしてベンチを温める結果となったのです。
女子バスケットボールのプロ時代は、いい経験ができたと思っていますが、初めてサブになったことで挫折を味わったというか、悩んだ2年間ではあったんです。
いくらスピードがあっても、バスケットボールはやはり身長があった方が断然有利。努力ではどうにも埋められないその差に限界を感じ、
いつしか別の道を模索し始めていました。
ポジションはガード(司令塔的役割)でしたけど、Wリーグではいちばん身長が低いくらいだったので、限界を感じていた部分がありました。
お姉さんの宮崎早織さんは、同じガードですが、身長は167cm。
プレーの質や力量が同じくらいなら、ベンチとしては、そりゃ身長の高い方を選びたくなりますよね。
小学校からバスケを始めて11年間やってきたので、ひと区切りつけてもいいかなって。
普通の女の子になりたいというか、普通の生活をしたいと思って、バスケは引退することを決めました。
こうして、宮崎安奈さんは22歳で引退、バスケットボールの世界を後にしたのです。
出典:インスタグラム
並んで立つと、やっぱりかなり身長差がありますね。
訪れた転機
宮崎家は、実のお兄さんの宮崎泰右(たいすけ)選手も、サッカーのプロ選手という、スポーツ一家です。
出典:インスタグラム(しっかし、お兄さんもカッコいいですよね~)
引退後は、少し休んでから一般的な社会人生活を送ることを考えていたようですが、そんな時に父親から、ボートレースをやってみないか、と誘われたそうです。
ボートレースを勧めてくれたのは父でした。身長が低くてもやれる競技のようだから私に向いているんじゃないかということで、挑戦してみないかと言ってくれたんです。
ただ、当時はボートレーサーになるといいます全く考えていませんでしたし、ボートレースがどんなものなのかも、ほとんど知らなかったといいます。
でも、今だから言えることですけど、最初はかなり抵抗がありました。普通の生活をしたいというのが私の気持ちだったし、1年間、養成所生活を送るというのは考えにくかったからです
そりゃあ、そうですよね。
今まで、バスケ一本に絞ってやってきて、いきなり何の知識もないところに飛び込むなんて、相当の勇気がいることだと思います。
ただ、安奈さんの周りには、妹想いの、背中を押してくれる存在がありました。
『1年間、養成所で学ぶことでプロへの道が開かれるんだからすごいじゃない』
と2人からは言われたんです。2人ともプロの世界でやっているし、私ももう一度、1から頑張ってみようかと思えてきました。私にとって2人の存在はすごく大きくて、いつも物事をプラスに考えさせてくれるんです
本当に仲の良い兄妹なんですね。
ボートレースの世界
福岡県にある養成所では、戸惑いも多かったようです。
ただ、11年もの間、バスケットボールの世界で培った気力と闘争心が、困難な状況を乗り越えさせてくれました。
モーター整備まで自分でやるんだ!?とか、驚きばかりでした。できないことが多すぎて、すごいプレッシャーになっていました。
でも、負けず嫌いっていうのもあるし、自分で決めたことなんだからボートレーサーになりたいという一心で頑張れたんだと思います
ボートレーサーとしてのデビューは2021年のこと。
地元の戸田でのレースは、落水してフライングも切る散々な出来でした。
デビューした頃はうまくいかないことばかりで、結果を出せない焦りだとかプレッシャーだとか、いろいろ重なって、養成所の1年とは違ったしんどさがありました
バスケットでは思い通りに動けたのが、水面ではボートも、ハンドルも、エンジンも、自分の思うように全く動いてくれなかったそうです。
そんなこんなで、初めて1着を取るまでに1年を要しました。
新人レーサーであれば、珍しいことではないそうですが、やはり相当へこんでいた時期もあったようで、
デビューしてしばらくした頃に東京オリンピックがあって、女子バスケットは銀メダルを取りました。自分がやっていた競技があれだけ盛り上がって、その舞台に姉もいたんですから、自分も頑張らなきゃいけないって気持ちになりました。
そんなとき、やっぱり心の支えになってくれるのは、お姉さんの存在でした。
それでもなかなか勝てずにいると、姉は『まだ1年じゃない』と言ってくれたんです。私からしたら“まだではなく、もう”という感覚だったんですけど、姉の言葉だからこそ素直に聞くことができて、心が軽くなった気がします。
お互い、信頼しあっている間柄なんでしょうね。
姉とは仲が良くて、一緒に遊びに行ったりもよくしますけど、感謝の気持ちを言葉で伝えたいことはないですね。やっぱり照れくさいですから(笑)
ボートレース成績と獲得賞金
宮崎さんは、
『女子が男子と対等に戦えて、勝つ可能性がある競技は、なかなかない』といいます。
その話の通り、ボートレースは女子戦だけでなく、男女混合で争うレースがあったりして、その中で何度か勝ったりもしているようです。
一般的に、女子の競艇選手は競馬や競輪よりも多く、今年の4月時点で約260名、全体の16%が女子選手だとのこと。
また、年々増加傾向にもあるらしく、それだけ肉体的なハンディを要さない種目であり、女子選手にとっても夢が持てる競技だということでしょう。
尚、宮崎安奈選手の22年の獲得賞金は716万円。
普通に考えれば、一般の会社の女子社員よりもかなり沢山もらっていますよね。
ただ、賞金ランクのトップを走る選手ともなれば、4~5千万円は固いので、B級の宮崎選手にとっては、まだまだ雲の上の存在と言えるでしょう。
ただ、立て替えてもらっている学費に関しては、これだけあれば少しずつ返していくことは出来そうです。
お姉さんがブチ切れないうちに、早めの返済をお勧めしたいですね。
まとめ
女子バスケットボール・日本代表、宮崎早織さんの妹さんは、宮崎安奈さん(26歳)という名の、競艇選手でした。
ただ、もとからの選手という訳ではなく、21歳までは姉の背中を追って、プロの女子バスケットの世界で活躍していたアスリートであり、
そこからの転身という、異色の経歴を持った競艇選手でした。
1年間の養成所生活を終え、22歳でデビューした遅咲きの安奈さんは、勝手の分からない世界でもがき苦しみながらも
姉の早織さんの言葉に支えられながら、少しずつ結果を残し始め、デビュー2年後には獲得賞金も700万円を超えるまでになりました。
努力だけでは如何ともしがたい体格差から諦めたアスリートの道。
ひたむきな努力が実を結ぶことを、望まないではいられません。
しかし、本当に可愛い方ですね~。頑張ってください!
コメント